イランは、政権が退廃的な西欧のレジャーをあまり快く思っておらず、また地理的にも気候が暑く、石油資源に恵まれた砂漠の国であることから、イランでスキーをすることは矛盾していると思われるかもしれません。
しかしこのようなステレオタイプの裏には、特に(他の多くの国と同様)富裕層がスキーをすることに熱心であり、地理的に見ても高い山々があり、実際アルボルズ山脈には世界で最も高い所にあるスキーリフトとゲレンデが建設されています。
イランはまた毎年冬になると軽いドライパウダースノーの降雪が7m(21フィート)にも及び、通常降雪と降雪の間は日が照っています。実際イランにはかつてないほど多くの、少なくとも25のスキーエリアがあり、トップリフトの高さという意味では世界最高度トップ20に入る場所もいくつかあります。イランは非常に山が多い国であり、ハイランドの面積は100万平方キロメートルを超えます。
しかしながらスキーは、イスラム革命の50年近くも前からイランにありました。ドイツ人鉄道エンジニアが1930年代初頭に持ち込んだと言われています。
Tochalは、イランで最も有名なスキーエリアの1つで、麓は首都テヘランからそれほど遠くなく(60km/37マイル)、およそ3850mの地点に世界で最も高いリフトの1つがあります。イラン人が建設当時世界で最高度および最長だったという8km(5マイル)の長さの3ステージゴンドラリフト Télé Kabiné Tochalを使ってゲレンデに行きます。
イラン最大リゾートの1つであるディジンは、フランスの専用リゾートモデルにならって1960年代後半にイラン国王が建設しました。テヘランの北数時間の所にあり、垂直走行線は約1000m、3600mまで到達しており、コンクリートのアパート群があらゆる場所に存在しています。近年リフトを全て交換し、現在ではまさに21世紀のスキーを体験することができます。
イランにおけるスキーの近代史の全貌を正確に知るのは困難です。1979年のイスラム革命直後、スキーは退廃的な西欧文化のシンボルとして見られ(前の国王がスポーツを好んでいたこととは好対照)、スキーエリアもその後スキーが受け入れられるようになるまでの5年間は閉鎖されました。スキーが受け入れられるようになったのは、これは神をたたえるための人間の試みであり、それほど悪いことではないと考えられるようになったからです。
1980年代、90年代におけるイランでのスキーはというと、人々はスキーをすることが大好きではあるものの、厳しいイスラムの法律により、ゴンドラキャビンでも男性と女性は別のチェアリフトに乗らなければならず、スキーができるゲレンデも性別によって分けられていたとの報告があります。ただし、自国のスキー事情を良く知るイラン人スキーヤーによると、そのようなことはなく、実際これは西欧のメディアによるプロパガンダであるということです。
より最近の報告によりますと、イランは新しいリフトの設置や新しいスキーエリアの建設に投資をしており、またイラン人は非常に手厚いもてなしをしてくれる人たちで、ゲレンデにおける男性、女性間の距離にはある一定の基準がありそれは西欧社会から見ると保守的ではあるものの、その実践が厳しすぎたり強引であるというようなことは滅多にないとのことです。
非常に奇妙なことですが、イランは近年夏のグラススキー大会が行われる主要国となっています。グラススキーは1970年代、80年代に少しの間ヨーロッパで人気があったアクティビティで、巨大なローラーブレードの上に見にタンクのコースを作り芝のゲレンデを滑ります。